とある魔術の禁書目録・外典
 
書いた人:U16
 
第11話
 
 9月30日。
 
 明日から衣替えということもあり、この日は半日授業となっている。
 
 たかが衣替えと侮るなかれ、180万人前後の学生を抱える学園都市にしてみれば、衣替え一つを取り上げてみても服飾業界は大忙しなのだ。
 
 そんな中、上条・当麻は学校の廊下で窓枠に肘を付き、アンニュイな雰囲気を醸し出しながら、
 
「……はぁ、出会いが欲しい」
 
 言った瞬間、両脇をクラスメイトの姫神・秋沙と吹寄・制理に固められ、そのまま何処かに連行されて行った。
 
 その後を慌てた様子で同じくクラスメイトの風斬・氷華が付いて行く。
 
 上条が連れて来られたのは、彼らの教室だ。
 
 後ろの隅に正座させられた上条は三人の少女達に見下ろされる形で、
 
「貴様という男は……、これ以上周りに女の子を増やしてどうしようっていうの?」
 
「つまり。私達だけでは満足していない。と」
 
 半眼で睨んでくる二人に対し、上条は慌てて首を振り、
 
「いえいえ、滅相もございませんの事よ?」
 
 それどころか、男女比からして肩身が狭すぎるのが現状だ。多数決で何かを決める時、必ず上条が負ける。
 
 まあ、今はそんな事よりも大事な事がある。
 
 それは……、
 
「……君達、もう授業が始まってるんだが」
 
 晴れて上条達の学校の教師となった木山・春生が既に教壇に立っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 時刻は昼。
 
 半日授業の為、部活に入っていない上条としては後は帰るだけなので、何時ものように姫神、吹寄、風斬らと一緒に寮へと戻っている最中の事だ。
 
「いたいた! 居やがったわねアンタ!」
 
 背後から、そんな声が聞こえてきた。……ような気がした。
 
「今日の夕食当番は上条さんなわけですが、何かリクエストでもありますか?」
 
「この前の里芋の煮っ転がしは美味しかった」
 
「確かに、あの味付けは結構美味しかったわね。……何だか貴様の調理方法見てると偶然の産物っぽいけど」
 
「そういえば、いつも目分量ですよね」
 
「そ、そこがコンビニ弁当やファミレスとは違う手料理の醍醐味だと上条さん思うわけですよ!?」
 
「あの、ちょっと……」
 
 背後からまた声を掛けられたような気がするが、上条達は気付かない。
 
「ちょっとって……、言ってんでしょうが!?」
 
 我慢の限界に来た美琴が上条に向けてドロップキックを敢行。
 
 思わず前のめりに倒れ込む上条は転けた際に打った右肘をさすりながら自分にドロップキックを放った犯人である美琴を見上げ、
 
「……いきなりドロップキックとは常盤台では変わった挨拶の仕方を教えてんだな?」
 
「アンタが何時までも私の事無視してるからでしょうが!?」
 
 上条を指さし美琴が叫ぶ。
 
 対する上条は小首を傾げ、
 
「え? 呼ばれたっけ?」
 
「大きな声で3回呼んだわよ!!」
 
 もはや涙目で告げる美琴に対し、上条は姫神達に確認を取るも彼女達も上条との会話に集中していて美琴の声を聞いていなかった為、小首を傾げる。
 
「まあ、良いや」
 
 そう結論して立ち上がり、ズボンに付いた埃を払う上条は改めて美琴に向き直り、
 
「それで? わざわざ人を蹴り飛ばしてまで呼び止めるなんて、何の用事だ?」
 
「何って……」
 
 問われた美琴は暫し考え、
 
「そうそう、罰ゲーム」
 
 ようやく思い出せたのか? 手を打ち合わせて告げた。
 
「……罰ゲーム? ……そういや、そんな事も言ったような」
 
「……アンタね。自分で言った事くらい覚えておきなさいよ」
 
 半眼で告げる美琴に対し、上条は大して気にした様子もなく、
 
「あれ? でも、賭って確か俺が勝っただろう?」
 
「だ、だから、こうして罰ゲームを受けにやって来たんじゃない」
 
 ……物好きな奴だなぁ。
 
 と思いながら、美琴に何をやらせようか? と考えを巡らせる。
 
「ちょ、ちょっとくらいなら、え、エッチな事でも……」
 
 顔を真っ赤に染めつつ、小さな声でボソボソと呟くが、上条は既に考え事をしている為、美琴の様子に全く気付く素振りさえ見せない。
 
 悩む上条の視界に入ったのは、吹寄の持つ空のペットボトル。
 
 それを彼女から譲り受けると、美琴に差し出し、
 
「じゃあ、喉渇いたから、エビアン汲んできてくれ」
 
「……は?」
 
 ちなみにエビアンの原水地はフランスのフレンチアルプス標高850mに存在する。
 
「……まさか、そこまで行ってペットボトル一杯分の水を汲んでこいと?」
 
「おう」
 
 頷いた瞬間、ぶん殴られた。
 
「どこぞのバラエティー番組の罰ゲームか!? もっと、普通に出来る事にしなさいよ!」
 
「……何でもするって言ったのに」
 
「限度ってもんがあるでしょうが!?」
 
 続いて放たれた頭突きが的確に上条の額を捉えた。
 
「をぐぅ!?」
 
 思わず、頭を押さえて蹲る上条。対する美琴も痛かったのか? 上条と同じように蹲っている。
 
 そんな二人のじゃれ合いをヤレヤレと肩を竦めながら眺めていた少女達だが、このままでは話が進まないと判断。
 
「それで? 貴様、御坂さんに何をしてもらうつもり?」
 
 吹寄が皆を代表して問い掛けると、それまで痛がる素振りをしていた筈の上条は何でもないように復活し、
 
「……そうだな。じゃあ、夕食作るのでも手伝ってもらおうか」
 
 それを聞いた美琴は一瞬で、キッチンに二人並びお揃いのエプロンを着けて仲睦まじく料理する、まるで新婚さんのような上条と自分の姿を思い浮かべた。
 
「しょ、しょうがないわね! そこまで言うなら手伝ってやるわよ!」
 
 僅かに顔を朱に染めて告げる美琴だが、当然の如く上条はそれには気付かない。
 
「んじゃ、スーパー寄ってくか」
 
 言って、近くのスーパーマーケットへと足を向けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 取り敢えず、買い物を終え寮に戻る事になったのだが、美琴としては疑問が一つある。
 
 ……何で、皆で同じ方向に帰ってんの?
 
 とはいえ、その疑問はすぐに解消される事になるのだが……。
 
「……そういや、御坂がここ来んのって初めてだったか?」
 
 見えてきた建物を指して言う上条。
 
「そ、そうよ!」
 
 築1年も経っていないような真新しい建物だ。
 
 ……結構良い所に住んでんのね。
 
 この機会に、一気に上条との距離を縮めようと画策する美琴だが、次の瞬間、自分だけが如何に出遅れていたのかを思い知らされる事になる。
 
「ただいまー」
 
 一斉に唱和する帰宅の挨拶。
 
 それは間違い無く自分を除く少女達が、この少年と一つ屋根の下に住んでいる事を示している。
 
「お帰りなさい」
 
 奥から出てきたのはエプロン姿の五和とオルソラだ。
 
 ……こいつらも一緒に住んでんの!?
 
 既に彼女達との面識のある美琴であるが、よもや一緒に住んでいるとは思ってもみなかった。
 
 否、彼女達だけではない。
 
 奥からゾロゾロと現れるのは何奴も此奴も見覚えのある面子ばかり。
 
 しかも、
 
「――アンタもかッ!?」
 
 美琴が指さす先に居るのは、自分と瓜二つの姿をした少女。
 
「おや? 何しに来やがったのですか? お姉さま。とミサカは内心で舌打ちしつつ一応表面上だけは歓迎している風に告げてみます」
 
「全然隠せて無いわよ!」
 
 そんな姉妹のやり取りを眺めながら、御坂妹も感情豊かになったなぁ……。と感慨深げに頷く上条。
 
「つーか何? この寮で男ってアンタだけなの?」
 
「そうなんだよな……。これで温泉付いてたら完璧だぞ」
 
「東大でも目指すつもりか!?」
 
 まあ、それはともかく、夕食まではまだまだ時間がある。
 
 取り敢えず部屋に戻って着替えてきた上条達がリビングにやって来ると、更に人数が一人増えていた。
 
「お、来たか佐天」
 
「はい! 来ました!!」
 
 そこに居るのはトレーニングウェア姿の佐天・涙子だ。
 
 実は佐天、以前上条に助けられた時以来、彼らに護身術を習うようになっていた。
 
 中途半端な護身術は、危険を増大させる可能性が高い為、最初、上条達は教えるのを渋ったのだが、意外な事から彼女が日常的に格闘技に接している事を知り、教える事にしてみたのだ。
 
「へー、護身術。……どんな事するの?」
 
「いや、元々素養はあったんだよ。小学生の頃からカポエラダイエットとかやってたらしくて」
 
「……は?」
 
 聞いた事も無い単語に、思わず間抜けな面を晒してしまう美琴。
 
 だが、上条はそんな彼女の表情に気付かないまま言葉を続ける。
 
「ただ問題は、佐天がカポエラが格闘技だって事を知らなかった事だな」
 
 上条に教わるまで、カポエラとはダンスの一種だと本気で思っていた佐天。
 
「今は俺たちと乱取り稽古こなして、間合いの取り方とか練習してる所」
 
 後は、経験さえ積めばレベル3程度なら奇襲で勝てるじゃね? と気楽に告げる上条。
 
 彼の言う通り、庭先で始めた姫神との乱取りでは、柔らかい身体を生かし、身体全体を使う円運動の蹴り主体とする立ち技で、彼女を追い詰めていく。
 
 ……しかも、結構速いし!?
 
 絶えず動き回り、身体全体を回すような蹴りは間合いが広い為、投極主体の姫神としてはやり難い。
 
 非力な佐天であろうとも、身体全体を使う蹴りは大の男の腕よりも遙かにリーチは長いし、遠心力の追加された蹴りの重みは一撃で相手を昏倒させられる程度の威力を秘めているので中々侮れない。
 
 ――とはいえ姫神としても、ただ一方的に攻められているわけではない。佐天の蹴りを逆らう事無く受け流し、僅かに体勢の崩れた一瞬の隙を付いて間合いを詰め佐天の服の襟を掴むと、次の瞬間には佐天の身体が大きく宙を舞っていた。
 
 佐天の身体が庭の芝生に叩き付けられる。……とは言っても、衝突の瞬間に身体を引き上げているから大してダメージは受けていないだろう。
 
 眼前で寸止めされた姫神の掌底に引きつった笑みを返し、素直に負けを認める。
 
「ううーん。やっぱり、全然勝てません」
 
「それでも。最初に比べたら大分動きが良くなってる」
 
「わ、本当ですか♪」
 
 喜ぶ佐天に対し、今度は対戦相手を吹寄に代えて二回戦を開始する。
 
「今が一番伸びる時期よ、佐天さん。気合い入れていきましょう!」
 
「はい!」
 
 元気良く返事を返し、先手必勝とばかりに吹寄に跳び蹴りを放つ佐天。
 
 対する吹寄は身体を僅かにずらすだけでこれを回避。着地した佐天に向け一気に距離を詰めてみせるが、佐天もそれを読んでいたのか? 間合いに入られないように振り向きざまに膝蹴りを放って牽制……、否、確実に当てる気で放っている。
 
 だが、それでもまだ甘い。
 
 捉えたと思っていたにも関わらず、足には何の感触も無い。
 
 ……残像ッ!?
 
 そう判断すると同時、強引に身体を捻って後方に向け回し蹴りを放とうとするが、それよりも早く懐に入り込んだ吹寄に足払いを仕掛けられ体勢を崩す。
 
 ……まだッ!?
 
 諦めない佐天は、既に射出体勢に入っていた蹴りを放ち、その反動で強引に体勢を反転させると、立て続けに左足を跳ね上げる。
 
 吹寄の位置を確認したわけではない。がむしゃらに放っただけの目暗討ちだ。
 
 だが、そこに吹寄の姿は無い。背中に押し当てられる肩の感触に佐天は自分の負けを悟る。
 
「……息、吐いておいた方が楽よ?」
 
 そんな声が背中越しに聞こえてきた途端、佐天の身体が吹っ飛ばされた。
 
 まるで人身事故のような三回転半の後、壁に激突する寸前、上条によって受け止められ事なきを得る。
 
「佐天さん!?」
 
 慌てて駆け寄る美琴だが、この場でもっとも驚いているのは他ならぬ吹寄だろう。
 
 ――否、彼女だけではない。彼女の技の本質を知っている者達からしてみれば、先程の技で吹き飛ぶ方がおかしいのだ。
 
 普通、吹寄の鉄山靠を喰らえば、その馬鹿みたいな運動エネルギーを体内に叩き込まれ、その場に崩れ落ちる。
 
 だというのに佐天は吹っ飛んだ。……考えられる可能性としては、鉄山靠の威力を軽減する為、自分から飛んだのだろう。
 
「凄いわ佐天さん! 上条みたいな方法で鉄山靠から逃れるなんて!」
 
「え、えへへ……、破れかぶれだったんですけど、なんとか……。それでも、完璧じゃなかったっぽいですけど」
 
 佐天の言う通り、完全には威力を殺しきれなかったらしく、自分の足で立つ事も出来ない程にダメージが大きいらしく、上条にもたれ掛かったままで何とか笑みを浮かべているような状況だ。
 
「選択肢としては正しいと思うぞ。後はタイミングだな。つーか、吹寄以外にあんなエグイ技使うような奴が居るのか怪しいけど」
 
「失礼な。完全密着状態からの回避術として役に立つわ」
 
 そんな上条達の会話に一人混じれずに居るのは呆然と立ち尽くしたままの美琴だ。
 
「……何? アンタ達、いつもこんな事してんの?」
 
「いや、いつもって程じゃないけど、偶にな。勘が鈍るといけないし」
 
 続いて行われるのは吹寄と五和の組み手だ。
 
 五和は先端に綿の詰め物を施した模擬戦用の槍を持っている。
 
 体術という事に関しては、やはり吹寄に一日の長があるのか? 長柄の得物を持つ五和に対しても互角以上の勝負をしてみせるのをただただ感心して見ざるを得ない。
 
 その間に、佐天はローマ正教の治癒魔術によって、かすり傷一つ無く治療されている。
 
 とはいえ、吹寄の攻撃は身体の中にダメージを残すので、今日の所はもう参戦出来ないだろう。
 
「ところで……」
 
 上条に五和と吹寄の模擬戦の攻防を説明させていた美琴に話し掛けてきたのはミサカだ。
 
「お姉さまは一体、何しに来たのですか? とミサカは問い掛けてみます」
 
「え? あ、あぁ……。罰ゲームよ、罰ゲーム。何だか今日の夕飯作るの手伝えー、とか言われちゃって」
 
 本人としては嫌々言っているつもりなのだろうが、顔がニヤけているので全くもって説得力に欠ける。
 
「……罰ゲームですか。ならば一つ提案があります。とミサカは小さく挙手して言ってみます」
 
「はい、ミサカ君」
 
 取り敢えず、先生っぽく御坂妹を指して発言を促す上条。
 
 対するミサカは小さく頷くと、
 
「全くもって嫌がっているようには見えないお姉さまに、これは罰ゲームとは言えないのではないか? とミサカは具申します。
 
 そういう事で、ここはどうでしょう? 罰ゲームの内容を夕食の手伝いから、雑用全般の手伝いという事にしてみては。……勿論、メイド服着用で。とミサカは最後に余計な一言を付け足してみます」
 
「……まあ、確かにそっちの方が罰ゲームっぽいけども、メイド服とか持ってないぞ?」
 
 上条が冷静にツッコんだ瞬間、なんの前触れも無く美琴の後輩である白井・黒子が瞬間移動で現れ、
 
「メイド服でしたら、ここにございますわ!!
 
 ささっ! どうぞ、お姉さま! 遠慮なさらずに!!」
 
「ちょッ!? 黒子! アンタ、どこで聞き耳立ててたの!? つーか、私に盗聴器とか仕掛けてないでしょうね!?」
 
「お、お姉さまのメイド姿……、ぐへへへへへへ、こりゃ辛抱堪りませんわ!!」
 
 山賊笑いを浮かべ、涎を垂らしながら美琴に迫る白井。
 
 必死に逃げようとする美琴だが、瞬間移動能力者である白井を前に逃げ通す事は不可能と言えるだろう。
 
 現に、呆気なく捕まった美琴は、そのまま着ていた制服を瞬間移動で跳ばされ代わりにメイド服を着せられていた。
 
「クッ!? アンタはまた能力の無駄遣いして!?」
 
 憤ってみせるが、着替えが無い以上美琴にそれ以上の事は出来ないまま、彼女の罰ゲームが始まる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 所変わって第7学区のとある服飾店。
 
 転校による制服の変更と衣替えを兼ね、結標・淡希は店を訪れていた。
 
 今度の学校はブレザーではなくセーラー服なので、以前と同じように制服の上着だけを羽織るという着こなしは出来ない。……かと言って、普通に着こなすのでは彼女のポリシーに反する。
 
 ……でも、煩いのも居るしね。
 
 同居人に教師が二人も居る為、余り露出が多いと説教されるのだ。
 
 自動ドアを開けて店内に入ると、アルバイトだろうか? 自分よりも年下と思わしき少女が出迎えてくれた。
 
「いらっしゃいませ。とミサカは営業用スマイルを浮かべて言ってみます。……おや?」
 
 見知った顔だ。……というか、同じ屋根の下で暮らしている人物だ。
 
「……アンタは、あのクローンじゃない。……わよね?」
 
「はい。ミサカはミサカであり、あのミサカではありませんが、貴女の事はミサカネットワーク経由で存じています」
 
 ちなみに彼女は、以前結標の持っていたキャリーケースを狙撃したミサカの内の一人だ。
 
 朝、結標が今日は制服の採寸に行くから昼食はいらないと言っていたとミサカからネットワーク経由で情報が来ていたので、ミサカはポケットから採寸用のメジャーを取り出し、
 
「では、早速、採寸を始めます。とミサカは提案します」
 
 言った所で自動ドアが開き新たな来客があった。
 
「いらっしゃいませ。とミサカは営業用スマイルを浮かべて言ってみます」
 
 言葉通り、営業用スマイルを浮かべたミサカだが、やって来た客の顔を見るなり何時も通りの無表情に戻り、
 
「何しに来やがったのですか? ミサカ20001号。ここは子供の遊び場ではありません。とミサカは適当にあしらってみます」
 
「うわ、お客をお客と思わない酷い言動かも!? って、ミサカはミサカは憤ってみたり!」
 
「お客……?」
 
 訝しげに眉根を寄せる御坂妹だが、少し遅れてやって来た新たな来客を見て表情を改める。
 
「なるほど。そういう事ですか? とミサカは納得を示し、取り敢えず高い服を買わせる為、高級ブランド子供服の展示してある方へと20001号を案内してみます」
 
 新たにやって来た来客……、痩身に白髪紅目の少年、一方通行は面倒臭そうに舌打ちし、
 
「別に良いけどよォ。そのクソガキに、人の服、勝手に着ンなって躾けとけ」
 
 今、打ち止めが上着代わりに羽織っているワイシャツは一方通行の物だ。
 
 それを理解したミサカは溜息混じりに頷き、
 
「なるほど、貴方も存外に鈍いタイプの人なのですね、とミサカは20001号に対し同情を示します」
 
「あン?」
 
 意味が分からないと眉根を寄せる一方通行は、そこで初めて彼の登場以降、怯え、挙動不審な少女の存在に気付いた。
 
「何してやがンだ? この三下は?」
 
 彼の視線の先に居るのは結標だ。
 
 一応、トラウマは脱して能力の使用に関しては問題無いが、それでも彼と相対すると、先日刻み込まれた絶対的な恐怖がマザマザと甦ってくる。
 
 ……ヒッ!?
 
 喉まで上がってきた悲鳴を辛うじて飲み込み、気丈にも一方通行を睨み返す結標。
 
 対する一方通行は面倒臭そうに彼女から視線を逸らすと、打ち止めが連れて行かれた方へと足を向け、
 
「あンま妙な服、選ぶンじゃねェぞ」
 
 一方通行の姿が視界から消えた事に安堵の吐息を吐き出す結標だが次の瞬間、
 
「何時の時代の人間だテメェは!? つーか、何でこの店には豹柄のボディコンなンぞ置いてやがンだッ! あァ!?」
 
 聞こえてきた一方通行の声にビクリと肩を震わせた。
 
 怒りを露わにした表情で、大股にやって来た一方通行を見た結標は、それだけで寿命を3年程縮める。
 
 制服の採寸など、どうでも良いから一刻も早くこの場を去ろうとする結標だが、踵を返そうとした彼女の肩を一方通行がガッシリと掴んだ。
 
「ヒィ!?」
 
 今度は悲鳴を飲み込む事も出来ず、思わず後ずさってしまうが、一方通行はそれには構わず、
 
「おい、お前。アイツの秋物の服選べ」
 
 彼が親指で指す先に居るのは、まるでサイズのあっていないボディコンを着用する小さな女の子。
 
 その背後では、御坂妹が必要最小限の布地で構成された服と言うよりは水着とでも言った方が正しいような布きれを持つ御坂妹の姿。
 
「な、何で私が……」
 
 抗議の声を挙げるものの、それを受け入れてくれるような相手でもない。
 
 結標を打ち止めの方に押し遣り、一方通行本人は外の自動販売機にコーヒーを買いに行った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 上条達の住む寮。
 
 その外において、誰にも気付かれる事無く一人電柱の影からその建物の周囲を警戒する人物が居た。
 
 常盤台学園理事長の孫、海原・光貴の姿をしてはいるが中身は別人であり、その正体はアステカの魔術師、エツァリの名前を持つ少年。
 
 そんな彼は今、他人の注意力を逸らせる魔術を使用しながら、御坂・美琴の護衛を行っていた。
 
 最近、彼の元に流れてくる裏の世界の情報は、どうも物騒な物が多く、彼はこうして時間に余裕があれば美琴に張り付いて周囲を警戒している。
 
 ……女王艦隊も潰され、ローマ正教も本気で上条勢力を危険視して来ていますし、油断は禁物ですね。
 
 そんな事を考えていると、彼に向かって一人の少女が歩み寄ってきた。
 
「……こんな所で何をやっているのですか? とミサカは不審人物を見るような眼差しで問い掛けます」
 
 ……術が破られた?
 
 今、海原が使用している術は、他人から自分に対する注意力を逸らせるという魔術であるが、何らかの方法によって一度認識されてしまうと脆いのが欠点だ。
 
 そして御坂妹が常に頭に装備している軍用ゴーグルの機能を使用すれば、ハッキリと海原の姿を確認する事が出来る。
 
 戸惑う海原を見て、御坂妹は小さく頷き、
 
「なるほど、ストーカーというやつですか。とミサカは納得してみます」
 
「いや、違――」
 
 海原が抗議の声を挙げるよりも早く御坂妹は振り返り、
 
「まあ、冗談は置いておいて本題に入りたいと思います」
 
「……本題?」
 
 ミサカは頷きを送ると、スカートのポケットから一枚の写真を取り出し、
 
「世にも貴重なお姉様のメイド服写真です。……5千円で如何でしょうか? とミサカは問い掛けてみます」
 
 返事は即座にあった。
 
 何時の間にか御坂妹の手の内から写真が消え、代わりに数枚の紙幣が握らされている。それも自分が言った額よりも確実に多い。
 
 御坂妹はそれを懐に仕舞うと、今度は別の写真を盗り出し、
 
「では、こちらの着替えの一瞬、半裸のあられもない姿を晒すお姉様の写真。……お幾らまで出せますか? とミサカは唇を吊り上げ下衆な笑みを浮かべつつ言ってみます」
 
 対する海原は財布を取り出して残高を確認し、
 
「……2、……いや、3万までなら出します!」
 
「商談成立ですね。とミサカは笑みを浮かべて商品を代金と交換します」
 
 これで今月は、パンの耳と水だけの生活になるだろうが、海原に後悔は無い。
 
 感動した面持ちで、スポーツブラに短パン姿という美琴の写真を見つめる海原。
 
 その写真からはエロチシズムというよりは、躍動的な芸術を感じる事が出来る。
 
「そして、こちらが本日最後にしてメインとなる一品。
 
 とある筋から流して貰ったシャワー中のお姉様です」
 
 とある筋とは勿論、黒子だ。
 
 彼女の盗撮コレクションから譲り受けた一枚。代償として、今度自分達がメイド姿や執事姿で彼女に一日従事する事になったが……、
 
「すみません、ちょっとコンビニに行ってお金を下ろしてきます」
 
「なるべく早くお願いします。とミサカは営業用スマイルを浮かべて言ってみます」
 
 この男から絞れるだけ搾り取れれば安い買い物になるだろう。
 
 そう思考し、心の中でほくそ笑んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さて、その頃、上条達の寮に来客が来ていた。
 
 リビングのソファーに座るのは、緑色に染めた髪をオールバックにしたひょろ長い長身に白のスーツを着こなした男。
 
 元ローマ正教の錬金術師、アウレオルス・イザードだ。
 
 ソファーに腰を下ろし、出されたお茶を一口啜った彼は開口一番、不機嫌な口調で、
 
「憤然。貴様等、私の事を便利屋か何かと勘違いしていないか?」
 
 文句を言いながらも、ちゃんと依頼をこなしているのは技術者の性とも言うべきか?
 
 アウレオルスはテーブルに置いた長さ2m程にもなるハードカバーケースの鍵を開け、中に納められた物を皆に見せる。
 
「注文のあった“蓮の杖”と“海軍用船上槍”」
 
 ソファーの後ろに置かれた布に包まれた物を指し、
 
「それに“聖カテリアの車輪伝説”に基づいた木製の車輪と」
 
 ポケットから小さな革袋を取り出し、
 
「摩擦に強い金属で作られたコイン」
 
 車輪の傍らに置かれた一つが一抱え程もある包みを指し、
 
「同じ金属で生成された砲弾」
 
 更に足下に置かれていたジェラルミン製のアタッシュケースをテーブルの上に乗せて、弾くようにロックを解除し、中に納められた物を見せるようにして、
 
「防弾防刃耐圧耐熱耐寒不導体処理の施された伸縮性の高いライダースーツにオリハルコン製のファイティングナイフ(ナックルガート付き)と小型ウインチ付きのワイヤーアンカー……」
 
 最近は科学側の兵器にも手を出しているのか? 合金や機械的なギミックにも詳しくなっているアウレオルスは自慢気に胸を張って告げる。……が、一息、表情を改めると対面に座る上条達に向けて怒気を露わにして言った。
 
「せめて取りに来い貴様等。全部で何sあったと思っている!? というか、他の物はともかく、こんな砲弾など何に使うつもりだ!?」
 
 というか、砲弾一つで10s以上あり、それが10発分。
 
 ちなみに、これを発注したのはミサカ妹だ。
 
 当然、人力で運べるような重さではないので、レンタカーで軽トラックを借りて運んできた。
 
「憮然。大体何だ? これだけの装備。戦争でも始めるつもりか? 貴様等」
 
 対する上条は顔の前で手を左右に振り、
 
「いやいや、むしろ逆。戦争停めたいんだって」
 
 言って、自分の発注したナイフを手に取り具合を確かめた。
 
 上条の元にも、様々な出所から現在、学園都市とローマ正教との間で緊張が走っているという情報は届いている。
 
「取り敢えず、言葉届かせるにしても、その為の場所に着かせなきゃ話も聞いてくれないしな」
 
 その為の一番手っ取り早い方法というのが、
 
「殴って黙らせる。――ローマ正教だけとか学園都市だけとかじゃなくて、両方をな」
 
「……呆然。本気か? 少年。貴様のやろうとしている事は世界を相手に戦争を仕掛けるのと同義だぞ」
 
「だから戦争じゃないって」
 
 苦笑を浮かべながら、
 
「ソリューションはトラブルバスターだからな。科学と魔術の諍いを解決するのが仕事だ」
 
 それが、親船・最中からの依頼。
 
 彼女の持てるあらゆる権限を用い、ソリューションのバックアップをするので、是が非でもこの戦争を停めてくれ。というものだ。
 
 元々、依頼などなくても動くつもりだった上条達だが、何をするにしても親船のバックアップはありがたいので、快くこれを承諾した。
 
「唖然。……何ともお人好しな人間が居たものだな」
 
「俺もそう思う」
 
 笑みを浮かべながら言う上条ではあるが、そこには皮肉も嫌みも含まれていない。むしろ、そんな親船だからこそ、依頼を受けたのだろう。
 
 ……そんなとんでない依頼を平然と受ける方も、お人好しだがな。
 
 と内心で思うが、敢えてアウレオルスはそれを口には出さず、出された紅茶に口を付けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 店の外に出た一方通行は、そのまま道路を挟んで対面にある自動販売機へと向かった。
 
 整然と並ぶ見本の中に新商品のコーヒーがある事を発見した一方通行はポケットから小銭を取り出し躊躇い無くその商品のボタンをプッシュ。
 
 取り出し口に落ちた缶を出そうと屈んだ一方通行だが、そんな彼を狙うように、黒いワンボックスカーが高速で突っ込んできた。
 
「あン?」
 
 不機嫌そうに眉根を寄せる一方通行だが、当然彼に構う事なくワンボックスカーは一方通行に激突。けたたましい音を発てて無残にもボンネットが拉げ潰れる。
 
 ……が、潰れたのはあくまでも車だけ。一方通行本人にはかすり傷一つ無い。
 
 彼はそのまま缶コーヒーを取り出すと、プルタブを捻って缶の口を開け、そのまま一息で半分ほどコーヒーを飲み、
 
「あァ……、中々美味ェじゃねェか。――暫くはこれにするか」
 
 満足気に頷き、残りを全て飲み干すと、充電完了とばかりに自分にぶつかったままのワンボックスカーを、まるで紙でも破り捨てるように無残に引き裂いた。
 
「さァ、まずは何奴からだァ? 今日は良い事があったからなァ、何時もの五割引で許してやる」
 
 恐怖に顔を引きつらせる運転手に向けて宣言する。
 
「ご、五割引……? あ、か、金か?」
 
 慌てて尻ポケットから財布を取り出そうとする男に対し、一方通行は口を三日月の形に歪め、
 
「いいや、お前の皮膚を五割剥いでやる。それでもまだ生きていられたら許してやるっつってンだよ」
 
 直後、絞り出すような悲鳴が辺りに響き渡った。
 
 その凶悪性を全面に押し出したような、罪悪感を微塵も感じさせない嬉々とした笑みを浮かべながら男の生皮を剥いでいく一方通行の前に、新たに三台のワンボックスカーが追加される。
 
 ワンボックスカーの後部スライドドアが開くが、そこから人が下りてくる気配は無く、代わりに覗くのは無数の銃口だ。
 
 だが、その銃口から鉛弾が放たれる事は無い。
 
 それよりも早く、一方通行が足下のアスファルトを蹴る。
 
 次の瞬間、どうベクトル操作されたのかは不明だが、彼を中心に周囲の道路に敷き詰められたアスファルトがまるで津波のように大きく波打ち、彼を取り囲んでいたワンボックスカーを呑み込んで派手に転がした。
 
「……つまんねェなァ」
 
 文字通り、退屈そうに吐き捨てると、取り敢えず後の悔恨を残さないよう、襲撃者達を始末しようと一方通行が一歩を踏み出す。
 
 すると、横転したワンボックスカーの開いたままのドアから一人の男が蹴り出され、続いて顔に入れ墨のある両腕にマイクロマニピュレーターを装備した白衣姿の科学者が顔を覗かせた。
 
「おいおい、相変わらずやる事派手じゃねぇか一方通行」
 
 見覚えのある顔だ、と思うよりも早く、一方通行は動いた。
 
 ベクトル操作による加速で一気に科学者……、木原・数多の元に距離を詰めると、彼が下半身を未だ納めたままの車体に向けて蹴りを叩き込む。
 
 木原自身は間一髪で脱出に成功するも、一方通行の蹴りを受けた車は高速で回転し街灯に激突してようやく停止した。
 
「随分とご挨拶じゃねぇか……。え? 一方通行」
 
 対する一方通行は木原の話など聞いていない。
 
「きィーはァーらァ――ッ!!」
 
 純然たる殺意を彼に向ける。
 
 その反応は流石に予想外だったのか? 僅かに後ずさる木原。
 
 殺意自体を向けられる事は予想していた。というか彼としても一方通行を殺すように命令を受けているので、それ自体は問題無いのだが、まだ何もしていないにも関わらず、ここまでの殺意を向けられるとは思ってもみなかった。
 
 対する一方通行としては、夏休みの一件で木原と打ち止めが入れ替わった事件以来、打ち止めを初めとしたミサカシスターズに弱みを握られているような状態だ。
 
 本来ならば木原とて被害者の一人なのだが、事の元凶である上条・刀夜には返り討ちにされてしまい、彼の内に宿った憤りは未だ解消されずにいた。
 
 そこに木原が現れたのだ。一方通行にしてみればかっこうの八つ当たり相手以外の何者でもない。
 
 一方通行の対策は万全にしてきたにも関わらず、彼の迫力に気後れした木原は、部下達に向け、
 
「二、三人連れて、とっととアレ回収してこい!!」
 
 告げると、無事だった黒服の男達が数人で一方通行の出てきた服屋に入っていく。
 
「テメェ、木原ァ!?」
 
「お? 目の色が変わったなぁ一方通行。何だ? お前、アレがそんなに大事か? でも駄目だ。お前はここで俺に殺される。アレは新しい実験の為の素材として回収される。
 
 理解したか? クソガキ。――なら、とっととおっ死ね」
 
 感情のままに突撃してくる一方通行に向け、カウンターで拳を叩き込む木原。
 
 対する一方通行は避けようともしない。彼の身を守る反射の鎧は絶対だ。これで木原の腕を砕き、腹に一撃をぶち込んで叩き潰す。その後、残った黒服共を一人残らず潰した後で打ち止めを回収しにいけば良い。
 
 そこまでを刹那の間に予定した一方通行だったが、その頬に衝撃が加えられて吹っ飛ばされ、彼の計画はその一歩目から挫折する事になった。
 
「おいおい、どーしたんだ? 一方通行。今日は調子でも悪いのか?」
 
 見下し、嘲笑を浮かべる木原。
 
 一方通行は、覚えのある感覚に木原のトリックを即座に見抜いた。
 
 ……こいつァ、あのクソ野郎の親父が使ってた反射破りと同じ感触じゃねェか。
 
 地面に血の混じった唾を吐きつつ、ゆっくりと立ち上がり再び木原と対峙する一方通行。
 
「んー……? どうした? えらく慎重になったじゃねぇか一方通行。早く俺を倒さねぇとアレが攫われちまうぞ?」
 
 これ見よがしに挑発し、見せつけるように両手に填めたマイクロマニピュレーターをさする木原。
 
 だが一方通行は惑わされない。この打撃があの機械の力では無い事を彼は既に経験している。
 
 ……実戦で試すのは初めてだが、やってみるか。
 
 一方通行が初めて構えを取る。
 
 身体を左半身に、足を軽く曲げて小刻みなフットワークを取り、右腕は顎に左腕はだらりと下げるような構えは、左右対称ではあるものの、上条の得意とするファイティングポーズと良く似ていた。
 
 本人に聞けば決して認めようとはしないであろうが、無意識にとったその構えが、彼が上条の事を認めている証でもあるだろう。
 
「あぁん? 何の真似かなぁー? もしかしていきなり格闘技に目覚めちゃったりしたかなぁー?」
 
 一拍、自分で言っておきながらそれがツボにはまったのか? 爆笑する木原。
 
「ぶぁははははは!? テメェみてぇな能力さえ封じちまえばただの貧弱な小僧が本気で俺に勝てるとでも思ってんのか? 一方通行」
 
 一方通行は答えない。
 
 大地を踏みしめ、爆発的な加速力で木原との距離を一気に詰める。
 
「ハッ!? 何度やっても同じ事だ!」
 
 迎え撃つ木原。
 
 突撃する一方通行は、夏の日、刀夜に打ちのめされた時の事を思い出していた。
 
 ……何時までも能力に頼っていては、先に進む事は出来ないぞ一方通行君
 
 ……強さを求めるのならば、鎧を脱ぎ捨てるといい。
 
 ……鎧に守られていたのでは分からない事。……人の呼吸、大地の感触、大気の流れや戦いの動きなども自ずと見えてくるようになるとも。
 
 よりにもよって、天敵とも言うべき上条の父親の言う事を聞くというのも癪だが、
 
 ……それで、あのガキを助けられるってんなら、言う事聞いてやンよ!!
 
 反射の鎧を解き、余った分の演算能力は自分の身体を動かす為の電気信号を加速させる為に使用する。
 
 木原の振るう拳が一方通行に襲いかかるが、それが彼の顔面を捉える寸前、一方通行の身体が沈み込み、その一撃を回避した。
 
「――ッ!?」
 
 予想外の動きを見せる一方通行に、木原は驚きの声を挙げようとするが、それよりも早く一方通行の体当たりが木原の身体を吹き飛ばす。
 
 一方通行自身にしても、あそこまで簡単に木原の攻撃を躱せるとは思ってもみなかった為なんの力も加えていない、純粋に勢いだけの体当たりだ。致命傷を与える程の威力は無い。
 
 ――だが、
 
 ……今の感じ。
 
 大地を蹴って自分を取り囲む黒服との距離を一気に詰め、
 
「ナッ!?」
 
 一瞬で眼前に現れた一方通行に懐から拳銃を取り出し応戦しようとする黒服だが遅い。
 
「……なるほどなァ」
 
 その腹に掌底を叩き込むと、黒服は口から血を吐いて崩れ落ちた。
 
 一方通行の表情が笑みに彩られる。
 
「こういう事かァ」
 
 一方通行の姿が完全に補足不能となる。
 
 今までのベクトル操作による強引な加速とは違う。加速力そのものは劣るものの、俊敏性は肉体操作によるこちらの方が圧倒的に上だ。
 
 それだけではない。反射の鎧を脱ぎ捨てた事により、周囲の動きが手に取るように分かる。
 
 人が動く事により生じる風の流れをベクトルとして感じ取り、それに対応するように先回りして動く。
 
 また一人、黒服の男が一方通行に蹴り飛ばされ……。まるで人身事故にでもあったような勢いで吹っ飛んでいき、それが二人、三人と増えていくのをようやく立ち上がった木原が信じられないものを見るような眼差しで眺めていた。
 
「お、おいおい……。どうしちまったんだよ? 一方通行。――こんなのお前のキャラじゃねえだろ?」
 
「心配すんなよ木原君。俺にだって自覚はある」
 
 言って浅く両腕を広げ、
 
「とはいえ、……最強である俺が、テメェ程度を相手に負ける道理なんて微塵も有りゃァしねェわな」
 
 互いに獰猛な笑みを浮かべ激突。
 
 放たれた木原の拳を一方通行が左手で払う。……それだけで木原の右腕はズタズタに引き裂かれた。
 
 だが一方通行の攻撃は停まらない。
 
 右手で木原の左腕を掴むと、躊躇無くそれを握り潰す。
 
「一方通行ああぁぁぁあ……ッ!?」
 
 余りにも酷い怪我の為、脳内麻薬が大量に分泌され痛覚が麻痺し、精神がハイになっている木原が、それでも一方通行に噛み付き、その喉笛を食い破ろうとするが、それも一方通行の手によって頭を鷲掴みにされることにより遮られる。
 
「一応、礼だけは言っといてやるよ。木原君。
 
 テメェのお陰で、近接戦のコツってやつを掴む事が出来たからなァ」
 
 とびきり邪悪な笑みを見せつける。
 
「クソ野郎が……」
 
 その言葉を遺言とするように、まるで空気を溜めた紙袋を叩いたような小気味良い音が響き、一拍の後、木原は目、鼻、口、耳……を問わず、身体中の穴という穴から血を垂れ流し、その場に崩れ落ちた。
 
 一方通行は興味無さげに踵を返して舌打ちし、
 
「くそ、俺のヤキが回ったもンだ」
 
 視線を上げると、こちらに向けて駆けてくる幼い少女が見える。
 
 彼女の前では、人殺しはしたくないと不覚にも思ってしまった。
 
 最後の最後で手心を加えた為、木原は死んでいない。余程、腕の良い医者にでも当たれば、意識を取り戻せるかもしれない。……もっとも、意識が戻ったとしても一生後遺症が付きまとうだろうし、精神に異常をきたしていないとも限らないが。
 
「一方通行、口から血が出てるって、ミサカはミサカは健気にポケットからハンカチを取り出しながら言ってみる」
 
 言いながら、背伸びして一方通行の顔にアニメプリントのハンカチを押し付けようとする打ち止めの背後には、サブマシンガンを携えた御坂妹と気怠げに溜息を吐き軍用懐中電灯を弄る結標の姿が見える。……おそらく、店内に侵入した黒服共は、彼女達が何とかしてくれたのだろう。
 
「気にすンな。そンなもンは放っときゃ治ンだよ」
 
 言い捨て、打ち止めを促すように歩き出す。
 
「それよりも、とっとと服買って帰ンぞ。無駄に暴れて腹も減ったからついでに飯だ」
 
 それを聞いた打ち止めは瞳を輝かせ、
 
「ならミサカはミサカは行ってみたいお店があるのって、言ってみる!」
 
「好きにしろ。後、そこの二人……。テメェらも来い。このガキ守ってくれた礼に飯奢ってやる」
 
 言われたミサカと結標は一瞬、彼が何を言っているのか? 理解出来ないような表情をした後、互いに顔を見合わせ、
 
「……疲れてるのかしら? 妙な台詞が聞こえたのだけど」
 
「いえ、ここはポジティブに受けとりましょう。――というわけで、出来るだけ高い店に行く事を推奨します。とミサカはどこからともなく学園都市ガイドブック(グルメ編)を取り出しながら言ってみます」
 
「えー……、ミサカはミサカは行列の出来るラーメン屋に行ってみたいって言ってみる!」
 
「いいですか? 20001号。行列が出来るお店というのは安くて美味しいから行列が出来るのです。
 
 自分のお金で食べるのであれば、それでもよろしいのですが、他人の奢りの場合、列ぶ必要も無く美味しいお店を選択するのは当然ではないでしょうか? とミサカは表面上は穏やかにミサカを説得しつつ、ネットワーク経由で脅してみたりします」
 
「ミサカはミサカはぁ――ッ!?」
 
 どの店に行くかで揉める三人を尻目に一方通行は歩きながら溜息を吐き、
 
「クソ、ヤッパ慣れねェ真似はするもンじゃねェな」
 
 呟きながら、取り敢えず近場のファミリーレストランを目指して歩を進めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 同時刻……。
 
 学園都市に侵入者が居た。
 
 侵入者は魔術師で人数は一人。
 
 性別は女で、名をヴェントという。ローマ正教の最上位に位置する神の右席を司る四人の内の一人だ。
 
 彼女が纏う服は、黄色を基調とした時代錯誤な中世時代のフランスのコスプレにしか見えないが、その顔に付けられた無数のピアス。……中でも特徴的なのは、舌に取り付けられた長い鎖の先の十字架だろう。
 
 擦れ違う人々が奇異な視線で彼女を見返し、その内の何人かはそのままその場に崩れ落ちて意識を失うも、彼女は全く気にせずに歩く。
 
 彼女が学園都市を訪れた目的は二つ。
 
 ……一つは青髪ピアスの聖人の抹殺。そして、もう一つは、
 
「不幸だぁー……、まさか醤油切らしてたなんてな」
 
 誰にとはなくぼやきながら偶然ヴェントの横を通りがかった少年、上条・当麻は空を見上げながら呟く。
 
「まさか、雨降ってきたりしないだろうな……」
 
 そのまま通り過ぎようとする上条を慌てて呼び止めるヴェント。
 
 今日、学園都市を訪れた彼女のもう一つの目的。
 
 それは上条のローマ正教への入信勧誘だ。
 
 だが、呼び止めてはみたものの、現在自分が天罰術式を使用する為に、相手に敵意を覚えさせるようなメイクをしている事を思い出して焦り、顔を見られないように被っているフードを引き下げて俯き、
 
「ご、ゴメンなさい。少し待っていてもらえるかしら?」
 
 もはや口調が普段の彼女とはまるで違うが、言うだけ言って上条の返事を待たずに路地裏へと姿を消す。
 
 術式が消えるのを承知で、自分の顔に装着していたピアスを全て引き抜き、舌に装備していた十字架付きの鎖も外す。
 
 その後、フードを取るとポケットからコンパクトを取り出し、顔中に空けられたピアス穴を塞ぐようにファンデーションを塗りたくり、続いて取り出した櫛で髪の毛を梳る。
 
 コンパクトの蓋の裏に取り付けられている小さな鏡で身なりを確認し、アイシャドウとルージュを引いて完成。
 
 本来ならば、ここで気持ちを落ち着かせる為に神に祈りを捧げたい所だが、余り上条を待たせて心証を悪くするのも拙いと判断。
 
 小さく深呼吸し、鼓動を落ち着かせると、緊張した足取りで表通りに向かった。
 
 何故いきなり待つように言われたのか? ワケが分からないままであろうとも待っていてくれた上条を発見し、口元を綻ばせるヴェントは早足で上条の元に向かう。
 
「ご、ゴメンなさい。お待たせしました……」
 
 呼吸を整えたばかりだというのに……、たったこれだけの距離を早歩きで歩いただけだというのに……、緊張で息が乱れるのを自覚する。
 
「あぁ……、えーと、どっかで会った事……」
 
 考え、ヴェントの身につけている衣装から、以前バチカンに行った時、青髪ピアスに襲われていた女性である事を思い出す。
 
「ああ! 確か前にバチカンで会った――」
 
 自分の事を覚えてくれた事が嬉しかったヴェントの表情が綻ぶ。
 
「えぇっと……」
 
 言葉に詰まる上条。そこで彼に対してまだ名乗っていなかったのを思い出し、
 
「あ……」
 
 思わず捨てた筈の本名を名乗りそうになるも思い止まり、努めて笑顔で、
 
「ヴェントと言います。ローマ正教“神の右席”の一人、前方のヴェント。……トウマ・カミジョウさんですよね?」
 
 上条は一度頷き、
 
「それで? 一体こんな所まで何の用なんだ? ――いや、大事な話なら場所移した方が良いか? 誰にも聞かれない所とか、落ち着いて話しの出来る喫茶店とか」
 
 バチカンから態々尋ねて来るという事は、重大な用件があるのだろう。
 
 上条としても、以前バチカンまで乗り込んで行き、重要な魔導書を破壊した事は記憶に新しい。
 
 一応、この事件に関しては全ての責任が上条個人に向かうよう、司書の爺さん(ローマ教皇)に名乗ってはきたものの、これまであからさまな動きは無かった。
 
 ……まあ、上条が知らないだけで、実は青髪ピアスを狙って一度行動を起こしているのだが、上条自身を狙ったローマ正教からの目立った攻撃は行われていない。
 
 真剣な表情で問い掛ける上条に対し、ヴェントも真剣な表情で頷き返し、
 
「で、でしたら余り人気の無い所の方が」
 
 路地裏を一本通り過ぎれば人気の無い場所に行けるが、流石に女性を連れ込むのは拙いだろうと判断した上条は、すぐ近くにある公園へと足を向けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 公園に到着した上条とヴェント。
 
 取り敢えずベンチに腰を下ろした二人だが、ヴェントは緊張した表情のままで上条に向き直ると、開口一番、
 
「実は貴方にローマ正教への勧誘にやって参りました」
 
 流石にそれは予想外だったらしく、呆気にとられる上条だが、そんな彼に構う事なくヴェントは言葉を続ける。
 
「ローマ正教最大の暗部“神の右席”の一人、右方のフィアンマが貴方に対して殺害命令書の発行を下そうとしています。
 
 今の所、私と後方のアックアが辛うじて差し止めてますが、発行は時間の問題だと思われます」
 
 ちなみに、青髪ピアスにはヴェントが殺害命令書を発行させた。
 
「それが発行されると、貴方は20億人全てのローマ正教信徒から命を狙われる事になります。
 
 それも貴方を殺す為ならば、学園都市どころか日本という一国家を滅ぼすつもりで攻撃を仕掛けてくるでしょう。
 
 ……そうなる前に、貴方にはローマ正教へと入信して欲しいのです」
 
 元来、十字教とは異教徒にはどこまでも残酷になれる反面、改宗し信徒となった者達に対しては最大の慈悲を持って接する体制がある。
 
 それはローマ正教だけに限らず、イギリス清教やロシア成教にしても同じだ。
 
 ヴェントの勧誘を前に、上条は暫し考え込む。
 
 とはいえ、オルソラを救う為に法の書を破壊した事を後悔したのではない。自分の為に、赤の他人までをも巻き込む事が彼的には我慢出来なかった。
 
 確かに、ヴェントの言う通り上条がローマ正教に入るのが一番被害の少ない方法だろう。
 
 ……が、同じローマ正教徒であろうとも、オルソラの時のように、体面を守る為にローマ正教が上条を内々で始末しようとしないとは限らない。
 
 それに、魔術自体は信じるようにはなったものの、幼い頃から学園都市で育った上条は、未だに神や天使などに関しては猜疑的だ。
 
 それを踏まえた上で考え、結論。
 
「ゴメン。やっぱり駄目っぽい。……まあ、学園都市ごと俺を殺そうっていうんなら、俺が学園都市から離れれば学園都市の皆には迷惑を掛けないで済むと思うし」
 
 ……いっその事、灯台もと暗しという事でバチカンに潜伏するとか……、イヤイヤそれだとバレた時に困るか。
 
 そんな事を考えていると、俯き、気落ちした声色でヴェントが再度問い掛けてきた。
 
「……どうしても、駄目ですか?」
 
「あぁ……。俺みたいな、神様信じてないような奴がローマ正教に入っても、迷惑掛けるだけだろうし」
 
「…………」
 
 ……悪い事したかなぁ。と思い、上条が何か声を掛けようとするよりも早く、ヴェントの方が動いた。
 
「私に否定形は無い――」
 
 面を上げたヴェントの舌。そこには何時の間にかポケットに収めていた筈の鎖から伸びた十字架の霊装が取り付けられている。
 
「悪いけど、力尽くにでも来て貰うわ――ッ!!」
 
 ヴェントは虚空から有刺鉄線の巻き付けられた大ハンマーを作り出し、それを手に取ると躊躇い無く上条に向けて振り下ろす。
 
 咄嗟の事ではありながらも、バックステップで回避してみせる上条だが、僅かな時間差を持ってヴェントから切断の力を有した風が襲いかかってくるのを、上条は右手振るって打ち消した。
 
「ヴェント!?」
 
 ……ゴメンなさい。……でも、これが最善の方法だと私は信じてます。
 
 心の内で謝罪し、更なる攻撃を上条に向けて振るう。
 
 ……彼を無事バチカンに連れて帰れたら、誠心誠意謝罪しよう。
 
 その上で、彼の傷が癒えるまで、付ききりで看病を続けよう。……そうだ、テッラを殺して彼に神の右席の一人になってもらうのも良いかもしれない。
 
 そんな事を考えながらもヴェントは大ハンマーを振るい続ける。
 
 対する上条としては、どうにも戦いにくい。
 
 なんというか……、ヴェントの振るう大ハンマーと風の攻撃に、妙なズレがあるのだ。
 
 ズレてくるタイミングが一致しない。……タイミングだけではない。ヴェントが横に薙ぎ払った攻撃であろうと、風は縦に飛んでくる事もある。
 
 それに、何よりも……、
 
「……俺の事を考えて行動してくれてるっていうのがなぁ」
 
 相手が自分の基準から外れた理屈で行動を起こしているのであれば、上条も躊躇い無く拳を振るえるのだが、ヴェントの場合、上条を守る為に彼をローマ正教に引き入れようというのだ。
 
 それ自体は、上条の基準から見て決して悪という範疇には収まらない。
 
 それ故に、どうも戦意が沸いてこない。
 
 幾つかのかすり傷は負いながらも、さほどダメージは受けずに一旦、ヴェントから距離を取る上条。
 
「……どうしたもんかな?」
 
 そんな事を考えていたのが隙になったのだろう。大ハンマーを振るってもいないのに発生した風の凶器を前に無防備なまま身体を晒してしまった上条。
 
 ……ヤベッ!?
 
 回避不能の一撃だ。……だが直撃の瞬間、背後から伸びた手が上条の襟首を掴んで引っ張り、間一髪で事なきを得た。
 
「……まったく。何をしているのかと思ったら」
 
 溜息混じり告げられる聞き覚えのある声。
 
「……姫神」
 
 ……何でここに?
 
 問うよりも早く姫神が答えた。
 
「マヨネーズも切らしてたから。ついでに買ってきてもらおうと電話したら携帯電話がリビングのテーブルの上に置いてあった。
 
 だから。追いかけてきたのだけれど。近道しようと公園に入ったら騒ぎが聞こえのでやって来た。
 
 それでまた面倒事?」
 
「んー……。今回は事情が複雑っていうか何ていうか……」
 
 掻い摘んだ事情を手短に話す上条。それを聞いた姫神は小さく頷き、
 
「なるほど。だから迷ってしまって攻撃が出来ないと」
 
「まあな……」
 
 歯切れの悪い上条に対し、姫神が一歩前に出る。
 
「なら。君は下がっていて。ここは私が引き受けた」
 
「お、おい……」
 
 上条の返答を待たず、ヴェントと相対する姫神。
 
 対するヴェントは訝しげに眉を顰める。
 
 ……おかしい。私と敵対すれば、その時点で天罰術式が発動して倒れる筈なのに。
 
 それにこの気配……。随分と希薄な。まるで人形……いや、空気とでも相対してるみたいな。
 
「どこを見ているの?」
 
 唐突に掛けられた声は、背後からだ。
 
 慌てて後ろにハンマーを振り抜くが、その一撃は虚しく空を切った。
 
「……何が」
 
「答えると思う? ……でも教える。久しぶりの見せ場だし」
 
「おーい、姫神さーん」
 
 呆れたような声で上条が呼びかけるが姫神は無視。
 
「私の修めた姫神流古武術には。己の気配。感情。存在を殺して相手に気取られる事無く有利な位置から仕留める技がある。
 
 この技の前では例え眼前に居ようとも私の存在を認識する事は出来ない」
 
 ……ちなみに。彼女の存在感が薄いのは。この技とは余り関係無い。
 
「彼が学園都市から居なくなると。私としても色々と困るので。ここは断固阻止させてもらう」
 
 姫神自身の説明により、天罰術式が効果無しなのは理解出来た。
 
 ……なら、
 
「力技でブッ潰す!」
 
「貴女には無理かもしれない」
 
 姫神の言葉にヴェントが更に逆上し、
 
「神の右席を……、ナメるなあぁぁぁぁッ!?」
 
 力任せに振るわれる一撃を難なく回避。そして気殺によって姿を眩ませる。
 
「クッ!? なら――ッ!!」
 
 ハンマーを大きく振り回して一回転する全方位攻撃。これならば、相手の居場所が掴めなくても当たる。……筈だった。
 
「残念。私はこっち」
 
 聞こえてきたのはヴェントの上方。街灯を蹴って上空から姫神は空中で一回転し浴びせ蹴りを放つ。
 
「このッ!?」
 
 手にしたハンマーを両手で上段に水平に掲げ、姫神の蹴りを防御しようとするヴェントだが、それこそが姫神の狙いだ。
 
 姫神の狙いはハンマーを持つヴェントの手。右足の蹴りとヴェントの左手に叩き込んだと思ったら、間髪入れずに左の蹴りを右手に食らわせる。
 
「グッ、がァ!!」
 
 堪らずハンマーを取り落としてしまうヴェントだが、彼女とて神の右席の一人。咄嗟に風で姫神を弾き飛ばした。
 
「クッ、……やってくれたわね? 小娘がぁ!!」
 
「それはこちらの台詞……」
 
 両手をダラリと垂らしたヴェントの手は恐らく折れているだろう。アレではハンマーを持ち上げる事は出来まい。
 
 だが対する姫神とて無傷ではない。身に纏う巫女装束は無残に破れ肌が露出し、出血しているのが遠目にも分かる。
 
「取り敢えず。貴女の術がその舌から伸びる鎖が作り出している事は分かった。……これで。もう二度と食らわない」
 
「フン、何を勝ち誇ってるの? アンタがどれだけ気配を消そうとも、その傷だ。血の臭いで位置は掴めるのよ!」
 
 互いに相手の必殺を切り崩すだけの材料は得た。
 
 恐らく次の一撃で勝敗は決するだろう。
 
 固唾を飲んで見守る上条。そんな中、唐突に姫神の姿が消えた。
 
 ――だが、
 
「血の臭いで位置がバレバレだぞ姫神」
 
 離れて見守る上条でさえ分かるのだ。相対しているヴェントからしてみれば言うまでもないだろう。
 
「はッ! そこだろぉ!?」
 
 三本の風の刃がヴェントから見て右側に飛ぶ。
 
 しかし、手応えが軽い。
 
 ……そこにあったのは、
 
「上衣だけッ!?」
 
 姫神の血を吸って所々赤く染まった純白の上衣だけだ。
 
 肝心の姫神は、
 
「――掌握」
 
 既に懐に潜り込み、ヴェントの襟を両手で握り込んでいる。
 
 上半身ブラジャーのみという姿の姫神の肌に出血は無い。
 
「馬鹿な、あれだけの深傷、そんな簡単に治癒する筈が!?」
 
「一時的になら出血を停める方法くらい心得ている」
 
 それも、あのカエル顔の医者から教えてもらった知識だ。
 
「また……、科学が!?」
 
 次の瞬間、ヴェントの視界が反転した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 姫神の投げ技を食らい、地面に横たわるヴェント。
 
 上条から借りた上着を着た姫神は大きく吐息を吐き出して、
 
「取り敢えず。病院に連れて行った方が良いと思う」
 
「お前もな」
 
 彼女の負った傷も決して浅くは無い。
 
「ふざけるな……。誰が二度と科学の世話になったりするものか……!?」
 
 脳震盪を起こしているにも関わらず、懸命に立ち上がろうとするヴェントは怨嗟を吐き出すように告げる。
 
「私の弟は科学によって殺された!」
 
 そして上条達は聞く。何故ヴェントがここまで科学を憎むようになったのかを……。
 
 遊園地のアトラクションの試運転にて事故にあい姉弟共々病院に運ばれた。
 
 しかし、彼女達の血液型はB型のRh-ととても珍しい血液型だ。結局方々に手を尽くしても集められたのは一人分の輸血だけだ。
 
 そこで彼女の弟は姉を助ける事を望み、彼女は一人生き残った。
 
 だからこそ、
 
「私は科学が嫌い! 科学が憎い! 科学ってのがそんなに冷たいものなら、全部ぶち壊してもっと温かい法則で世界を包んでやる!
 
 それが弟の未来を食い潰した私の義務だ!!」
 
 結局、彼女は自分が許せなかったのだ。弟を犠牲にして生き延びた自分が……。
 
 そこで天罰術式などという全世界の人類から恨まれる人生を望んだ彼女。
 
 それは自分自身を破壊する行為だ。
 
 だからこそ、上条は動く。彼女は間違っていると教える為に。
 
「ふざ――」
 
 上条が口を開くよりも早くヴェントの頬を姫神が張った。
 
「どうして? 弟さんが与えてくれた命を幸せにしようとは思わないの?」
 
 淡々と、極力感情を込めないように告げる姫神に対し、憎悪を剥き出しにしたヴェントが噛み付くように食って掛かる。
 
「お前に……、お前に何が分かる!?」
 
 対する姫神は眉を水平にしフラットな表情で、
 
「分かるわ。私も。沢山の人達を犠牲にして生かされてきたもの」
 
 彼女は、自分の能力故に吸血鬼を呼び寄せてしまい、結果、故郷を滅ぼした過去を持つ。
 
 だが、それでも彼女は吸血鬼を恨まない。他者に八つ当たりの対象を求めたりしない。
 
「私は。村の皆の犠牲の上に生きている。「ごめんなさい」と。私一人に罪を背負わせてごめんなさい。と。最後まで泣き続けて。最後まで笑う事が出来ず。最後の最後まで救われる事も無く。皆死んでいった」
 
 それだけを見れば、ヴェントよりも遙かに凄惨な人生を歩んできていると言えるだろう。
 
「だけど……。だからこそ。私は魔法使いになりたかった……。
 
 救われない者さえも救ってみせて……。見捨てられた者さえも拾ってみせる。
 
 被害者も。犯人も誰も彼をも救い出せる。――そんな出鱈目で荒唐無稽な魔法使いになりたかった」
 
 一息。
 
「……私は魔法使いにはなれなかったけれど」
 
 視線を上条へと向ける。
 
「見つけたわ。目に見える全ての理不尽に立ち向かっていく人を……。
 
 私は彼のようになりたくて。彼の力になりたくてここに居る」
 
 そして、視線をヴェントへと向け直し、
 
「……貴女はどうするの? 貴女の弟さんは。何の為に貴女に命を与えてくれたの?
 
 世界中の人達から恨まれる為? それとも貴女に幸せになってもらう為?」
 
 それが他の誰かが言った言葉だったならばヴェントには届かなかっただろう。だが同じように親しい者達を犠牲にして今がある姫神の言葉ならば……。
 
「う、煩い!? そんな事、今更アンタなんかに言われなくてもッ!?」
 
 歯を食いしばり、懸命に立ち上がる。……が、それが限界だ。脳震盪によって膝が言う事をきかない。
 
 だがそれでも彼女は倒れる事を拒絶し、姫神を睨み付ける。
 
「そんな綺麗事じゃ、今更止まれないのよ!?」
 
「止める。……止めてみせる」
 
 既に満身創痍のヴェントに対し、姫神も傷口が開いたのか? 上条に借りた上着のそこかしこから血の赤が滲み出している。
 
「がぁああああ!!」
 
 もはや魔術を行使するだけの余裕が無いヴェントは使える攻撃手段は体当たりくらいのものだ。
 
 対する姫神も出血が多い。一度倒れれば、再び立ち上がるのは困難だろう。
 
 両者が激突する。……と思われたその時、割って入った巨大な何かが二人の間に突き立ち土砂の粉塵で二人を押し留めた。
 
 咄嗟の判断で姫神を抱いて飛び退いた上条が、粉塵の向こう側に新たな気配を察して警戒する。
 
「誰だ!?」
 
 粉塵の向こうの人影は薄い笑みを浮かべると、
 
「なかなかに良い反応である。精進したようであるな」
 
 その声は、上条にしてみれば懐かしいものだ。
 
 そして懐かしさと同時に嫌な予感が広がっていく。
 
 やがて粉塵が晴れ、そこに突き立った物が風力発電用の巨大なプロペラである事が判明するが、問題はそこではない。重要なのはプロペラの向こう。
 
 意識の無いヴェントを抱いた一人の男だ。
 
「久しいな。上条・当麻」
 
 名を呼ばれた上条は、からからに渇いた喉に強引に唾を飲み込み、男の名を告げた。
 
「……ウイリアム小父さん」
 
 ……知り合い? と見上げてくる姫神の視線を感じるものの、今の上条に男から視線を離す余裕は無い。
 
「今は神の右席の一人、後方のアックアと名乗っているのである」
 
 元々はフリーの傭兵である彼が何処の組織に属していようと不思議ではないが……、改めて敵として相対すると、その威圧感に飲まれそうになる。
 
「こちら側に属さぬというのであれば、次に相対する時は、恐らく敵であろうな」
 
 言葉では残念そうな事を言ってはいるものの、内心では彼の成長を試したくて仕方ないのだろう。その証拠に、口元が僅かに綻んでいる。
 
 ……どれ程にまで成長したか? 楽しみではある。
 
「オジさん!?」
 
 上条が叫ぶが、その声はアックアまで届かない。
 
 彼は強く地面を蹴ると、何も言い残す事も無く上条達の前から姿を消していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 上条から連絡を受け、吹寄達が病院に到着した時、既に姫神の治療は終わっており、二人は肩を寄せ合って待合室のベンチで眠っていた。
 
 彼女達を迎えてくれたカエル顔の医者は小さく肩を竦めながら、
 
「女の子の方は、もう大丈夫だよ。重要な器官にまで達するような深い傷は無かったし、切り口も綺麗なものだったから縫合する必要も無くて一週間もすれば傷口も残らないかな?
 
 どちらかと言えば、彼の方が重傷かな?」
 
 上条の場合、外傷は殆ど無いが、血を流しすぎた姫神に輸血する為、限界まで血を提供した為、重度の貧血を起こしている。
 
「医者としては、止めたんだけどね? それくらいしないと、彼女に申し訳が立たないとかなんとか言ってね?」
 
 そんな事を聞かされたら、上条を無理矢理に叩き起こして事情を説明させられないではないか。
 
 少女達は大きく溜息を吐き出しつつ、二人を連れて帰る準備を始める。
 
「……何だか、姫神さんに一歩リードされたような気がするわ」
 
 小さく零す吹寄だが、その眼差しに諦めた様子は無い。
 
「とにかく、帰って食事にしましょう。上条ちゃんには姫神ちゃんに輸血した血を回復してもらう為にも先生が腕によりを掛けてレバニラ炒めでも追加するのですよー」
 
 と小萌先生が言うと、他の少女達も手を叩き、
 
「なら私、シジミのお味噌汁を作りますね」
 
「そうなると私の出番ね。――血を作るには鉄分とタンパク質よ! 特にカツオなんかの赤身魚が良いわ。他にはヒジキや緑黄色野菜、プルーンや納豆なんかも」
 
「では早速、スーパーに勤めているミサカにサービス品のカツオのタタキをキープしてもらうよう依頼しました。とミサカは言います」
 
 姫神の身体を風斬が背負い、上条はオルソラとオリアナに肩を担がれて寮へと戻っていくのをカエル顔の医者は見送りながら、余り食べ過ぎも良くないんだけどね? と独りごち職場へと戻って行った。
 
 ……翌日、腹痛で上条が再び病院に担ぎ込まれるのは、また別のお話。
 
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